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好 んで弾いたり聴く音楽は、バッハ(音楽の父)、モーツアルト(神童・天才)、ベートーベン(意思の作曲家)だが、作曲家として特に気になるは、 ブラームス、チャイコフスキー、マーラーだ。現代に近いから、彼等の知人たちからの証言を読めるためか神格化、英雄化されてなく、もっと生身の彼等を感じる。
7歳違うブラームスとチャイコフスキーは、5月7日生まれだ。そして、偶然にも、1878年にバイオリン協奏曲を書いている。それも同じ調で。(ブラームスは ベートベンのニ長調を意識したのだが)ブラームスはハンブルグ生まれでウィーンに住み、この協奏曲が書かれたのはイタリア旅行の後だ。チャイコフスキーの生地はロシア政府の流刑で、当時1840年、馬車でペテルスブルクまで2、3週間かかったと言われている。ロシアに住んではいたが、この協奏曲はスイスで書かれた。
彼らのもう一つの共通は、理由は全く異なるが、生涯共にする女性にも恵まれなかった。これらの協奏曲が書かれた10年後に二人はライプツィヒで会うが、お互いに毛嫌いした。 ブラームスが歩み寄る事で、チャイコフスキーもブラームスが好きになっていったということだ。しかし、残念なことにお互いの音楽は理解できずじまいだった。
ブラームスはマーラーより30以上年上で、マーラーがウィーン音楽院生の時の作曲コンクールの審査員を勤めた。当時、ブラームスはマーラーの才能を高く買っていなかった。後、交響曲2番 の総譜を見るまでは、シュトラウスが音楽界の革命的リーダーと思っていたようだ。晩年のブラームスはマーラーが訪ねるといつもにこやかで親切だったが、新ウィーン楽派*の音楽を理解できず、音楽の未来に 対しては悲観的だった。 一方、マーラーは、ショーンベルクの音楽が理解できずも、良きサポーターで、ブラームスが若い人達の音楽を批判する度に胸を痛めた。 (いつの時代も同じだなぁ)
*19世紀末のウィーンは、マーラー、R・シュトラウスに続いて、新ウィーン楽派と言われる、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンなどの作曲家がいた。ショーンベルクはアトーナル法を発明し20世紀音楽に影響を与えた。マーラーがチャイコフスキーに持った印象は、「感じのよい紳士」である。マーラーがチャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」の棒を振るが、マーラーの理解力と芸術に大変満足だったようだ。「スペードの女王」もマーラーのレパートリーに入っていた。
ブラームスは誰にも過去の事(少年時代や生まれのこと)は語らなかったし、誤解されても弁解しないことがしばしば。チャイコフキーは感傷的で傷付きやすく正義感が強かった。マーラーは心にないことが言えないため、ぶっきらぼうで反感を買う事がたびたびあった。しかし、皆、道徳感が高く純粋であった。
反対にニガテな作曲家で気になるのは、熱狂的なファンが多いのでお叱りを受けそうだが、リヒャルト・ワグナーとリヒャルト・シュトラウス。ワグナーは詐欺紛いのことをするし、シュトラ ウスも金儲けの事ばかりが頭にあり、リハーサル中は誰の邪魔も許さないが、株式ブローカーだけは例外であったそうだ。
ワグナーは、ベートベンに会ったこともないのに、大胆にも、会った時の印象、を書いて発表するし、何度か不倫はするし、贅沢で借金が莫大で逃亡生活が続いた。誇大妄想、被害者妄想も強かったようだ。にもかかわらず、困難がある度に克服する才能と強い運命があった。
私は「リング」を観ても感動しなかったし、音楽だって歌詞に無理に音楽を付けてると言う感じがした。つまり、オペラで言うレシティーブで、アリアっぽくない。一般にワグナーのオペラは、「ジャーマニズムと『阿片』のような音楽」に酔いし れる魅力があるらしい。彼の音楽劇に「美」を見い出す人、反対に「暴力」を見い出す人と別れるようだ。(私、なんとも感じない人。好きな曲も何曲かはある。)官能と死が同居している のか?ニーチェ嫌いで、精神の固まりのマーラーが、どうしてワグナーを好きだったのだろう?世紀末のウィーンの絵をみてわかるようにその当時を反映してるのか?マーラーも例外ではなかった。確かに、いつも彼は死と隣り合わせだった。
ブラームスはワグナーのことを「かつてこの世に存在した最も明晰な頭脳の持ち主」と言っているが、これはブラームス得意の皮肉なのか?!確かに、何度もどん底にありながら、目的のために這い上がる彼には中途半端な所がない。頭脳明晰で冷静でなければ出来ない技だろう。しかし、ブラームスは一度でもワーグナーの悪口や音楽に対しての批判をするどころか、彼の音楽を褒めている。それに対して、ワーグナーは「他人を攻撃することによって自己を確認」するタイプだった。
ワグナーのユダヤ人排斥思想に対して、R・シュトラウスはそう言う偏見差別はなかったようだが、政治に関しては良くも悪くも全く無関心だったようだ。シュトラウスが耐えられなかったのは、頭の悪い人たちで、ユダヤ人であろうと何人であろうと才能があればいいという考えだったようだ。その代わり、ユダヤ人隔離が始まっても全く無関心でナチスのオーケストラで指揮をする、という具合だ。
最後に作曲家ではないが、ナチスに入党し、戦後無罪にはなったが、ナルシストのカラヤン。自己芸術のみならず、ナルシスト気味(右翼と才能と容姿のよさと貴族出で三島っぽいかも)で、晩年、彼の横顔を撮る人は、どちらからか撮るよう指定し、反対から撮ったカメラマンを殴った、と読んだ事がある。
もう一人、音楽はあまり聴かないが、ショスターコビッチも気になる作曲家の一人である。いつか機会があったら書いてみたい。